14. 心の文化差
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1. 心の普遍性への疑問
心理学においては伝統的に、人間の心のしくみや働きは普遍的なものだと考えられてきた
表面的には違っても、本質的な心のしくみや働きに大きな違いはないというのが暗黙の了解だった
社会心理学も例外ではなく、欧米諸国で行われた研究の知見が、日本の社会心理学のなかに躊躇なく取り入れられてきた
2. 認知と思考様式における文化差
2-1. 分析的思考と包括的思考
人間の思考、感情、行動には多くの普遍性が認められることも、世界各国で行われてきた数々の研究からも明らか
その一方で、特定の社会心理学的現象には系統的な文化差が見られることも明らかになりつつあり、最近では、むしろ北米の研究者の方が率先して文化的な影響を考慮することの重要性を指摘するようになってきた
西洋人と東洋人では世界観や自己観が本質的なレベルで異なっており、それが認知や思考の様式にまで違いをもたらしているとしている
西洋人のものの見方や考え方は「分析的」、東洋人のそれは「包括的」だとしている
人や物といった対象を理解する歳、もっぱら対象そのおmのの属性に注意を向け、その対象が独自に有する属性に基づいてカテゴリーに分類したり、その対象を構成する要素を最小単位まで分割したりするなど、対象を他の対象やそれが置かれた文脈から切り離して理解しようとする思考様式のこと
ある対象を理解するには、その対象が置かれた文脈や他の対象との関係性を無視することはできないとし、対象がおかれた「場」全体を包括的に理解しようとする
2-2. 物の認知における文化差
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中心の魚について言及する程度は日本人もアメリカ人もほぼ同じ
さらにアメリカ人は、中心的な魚と他の物との関係については、日本人と同じ程度に回答したが、背景の無生物と他の物との関係についての回答は日本人の半分ほどしか見られなかった
日本人の場合、回答の第一声が環境についてのものだったのに対し、アメリカ人は中心的な魚から話を始めることが3倍も多かった
さらに中心要素であった魚を、もとのアニメーションにあった背景、もしくはオリジナルとは異なる背景とともに見せて再認を求めたところ、アメリカ人では背景の違いによる影響を受けなかったが、日本人では元の背景とともに提示された場合の方が、再認成績が高かった
これは、日本人は対象をその背景と結びつけて知覚していたのに対し、アメリカ人は背景情報とは切り離して知覚していたためと考えられる
2-3. 人の認知(対人認知)における文化差
中央の人物の感情推定
中央と周辺の人物が同じ表情をしているものと違う表情をしているものが含まれる
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日本人を実験参加者としたときには、中央の人物の感情推測に周囲の人物の表情が影響する傾向が見られた
たとえば、中央の人物が笑顔の表情を見せていたとしても、周辺の人物が怒りの表情を見せている場合には、周辺の人物が笑顔の場合に比べて、当人が経験している喜びの程度は低く推定された
このような違いはアメリカ人の実験参加者には見られなかった
アメリカ人の場合、周辺の人物が笑っていようが怒っていようが、中央の人物が笑顔であれば、その人物は同じ程度、喜んでいると見なされた
日本人の場合には、中心人物に加え周辺の人物にも視線が送られていたのに対し、欧米人(アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド)では、課題中のほとんどの時間で視線が中央の人物に集中していた
西洋人にとって、感情は個人のものであるが、日本人にとっては集団の感情と切り離すことができないものと見なされていると考えられる
2-4. 原因帰属の文化差
1991年にアイオワ大学の中国人留学生が、指導教員や仲間などを射殺したのち、自殺したという事件が起きた時、モリスとペン(Morris & Peng, 1994)は、この事件の報道の仕方がアメリカのメディアと中国のメディアでまるで違うことに気づいた アメリカのメディアがもっぱら個人的な特性(内的要因)に焦点を当てた報道をしていたのに対し、中国のメディアは加害者の周辺環境(外的要因)に焦点を当てて原因を究明しようとしていた もっともこのケースに限れば、加害者は中国人であったため、母国中国のメディアが擁護する目的でこのような報道様式を選択した可能性も否定できない
しかし折しも同じ年に、ミシガン州で郵便配達人が上司や同僚を射殺したのちに自殺をするという事件が起きた
この事件は先の中国人留学生の事件と事件に至るまでの経緯もよく似ていたため、大きな相違点は加害者がアメリカ人だということだけだった
彼らはこの事件を同じように分析し、先の事件の報道と比較したところ、その傾向は共通したものだった
3. 自己における文化差
3-1. 自己概念における文化差
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西洋人の自己の捉え方
自己を他者とは明確に区別された実体として捉える考え方
したがって自己は、他者や周囲の状況とは独立した、その人個人が持つ属性(能力、性格特性など)によって定義されるとされる
東洋人の自己の捉え方
自己は他者との関係性やその自己を取り巻く環境があってはじめて存在するものだと捉えられる
そのため、自己と他者、あるいは周辺の事物との境界線は曖昧で、自己がどのようなものであるかは、特定の状況や他者の存在に依存する
自己が単独で定義されることはなく、人間関係やその関係性の中でどのような地位、役割を占めるかによって定義される
カズンズの研究(Cousins, 1989)によれば、日本人大学生はアメリカ人大学生に比べ、個人に特有の心理属性(私は○○な性格だ)や身体属性(私は身長○○センチだ)を挙げることは少なかった その代わりに社会的な役割(私は○○大学の学生だ)や状況依存的な行動(私は金曜日の夜には○○をする)を挙げる程度は、アメリカ人より多かった
3-2. 自尊感情における文化差
西洋人において優勢な相互独立的自己観では、個人は他者とは明確に区別された実体とみなされるため、自分の内面にある優れた特性(e.g. 能力)を見つけて、それを表現し、実現することに価値が置かれる
他方、東洋人において優勢な相互強調的自己観では、個人と他者との境界は曖昧なため、他者との調和が重んじられ、個人としての特性が優れていることを確認するより、望ましくない特性を積極的に発見、修正することで、自分を周囲と調和することに価値が置かれる
セルフ・サービング・バイアスのような自己高揚的なバイアスはあまり見られない可能性がある
事実、日本人を対象にした研究では、しばしば成功は運や環境(外的要因)のおかげ、失敗は能力や努力(内的要因)の不足のせいという逆方向の自己卑下的な傾向が見られることがある(北山, 1998) 自尊感情を高揚しようとする自己高揚動機は、人間一般に見られる普遍的な動機ではあるが、少なくとも相対的に見れば、日本人(を含む東洋人)の自己高揚動機は、西洋人に比べて弱いと言えるかもしれない 自尊感情の測定には、最近まで自己評定式の心理測定尺度のみが用いられてきた
このようなタイプの尺度を用いた場合、回答を意識的にコントロールすることが可能
たとえ自己を高く評価していたとしても、そのまま回答に反映するとは限らない
特に謙遜を美徳とする文化的背景を持つ者が回答する場合、評価は低い方向に偏ってしまう可能性がある
自尊感情は、自己に対する態度と考えられることから、最近では、潜在態度を測定するためのテスト(→5. 態度と説得)を用いて、意識的にアクセスできない自尊感情(潜在的自尊感情)を測定し、従来の自己評定式の尺度で測定された自尊感情(顕在的自尊感情)と比較する研究も行われている 4. 文化心理学
文化と人の心との間にあると想定される密接な関係性を追求する学問分野 近年、社会心理学あるいは心理学全体に大きな発言権を持ちつつある
文化心理学に特徴的なのは、文化と心が相互構成をし合うという考え方
社会心理学は環境が人を変容させるという方向の影響については多くを語ってきたものの、人が環境を維持・変容させていくという見方は希薄であった(長谷川, 1997) 文化心理学では文化が心を育み、さらにそのような文化の中に生まれた人間が文化を維持・変容させていくという双方向の循環的なプロセスを仮定している
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ここでいう「文化」とはかなり広義なもの
文化心理学は、人の心の普遍性に疑問を投げかけたことが主たる功績として挙げられる事が多いが、このような心と文化のダイナミックな関係に着目したことも、社会心理学との関連においては重要といえる
文化心理学、それ自体もまだ十分に成熟した分野とは言えず、解決すべき問題は数多く残っている
限られたサンプルで比較したものがほとんど
現実的な問題として、現在までに行われている研究は、アメリカ人もしくはカナダ人と、日本人、中国人、韓国人の大学生を比較したものがほとんど
単純な二分法で文化を語ってよいのか